封建制・郡県制・郡国制の違いが結局わからない人に解説

動画【5分で世界史】

こんにちは。
Naganomayuiです。

私は高校教員でしたので、
YouTubeで、【5分で世界史】という動画を作っています。



今回は、古代中国の支配体制です。

封建制・郡県制・郡国制・・・。
ええ、どれがどれだか、すぐわからなくなりそうです。

現に、動画撮影中に、私も間違えました。
(ほんと中国、似たような制度多すぎ・・)



このページで言いたいことは、
歴史の暗記なんか最小限でいいんだよ
ってことです。


この3つを暗記で乗り切ろうとしていた人や
この3つに限らず、
膨大な単語をひとつひとつ覚えようと苦労している人は、
ぜひ、読んでみてください。



世界史の攻略法が暗記なのは、
平成初期のセンター試験の名残りですよ


センター試験の過去問を解いていて、
「うっわ、つまんない問題だな」
って思うやつ、大体2000年代の問題です。(私見)



令和の受験生は、共通テストですから、
暗記以外の勉強法を知っていきましょう。



さて、中国の3つの支配体制。

区別するためには、
・どういう体制か
・どうしてその体制が採用されたのか
これらが分かればいいのです。


実は、
支配体制の変遷には一定の法則があります

この構造を理解すると、
他の地域にも応用できるようになります。

解説していきます。
動画はこちらです↓

【5分で世界史】封建制と郡県制と郡国制の違いが、結局わからない人向け解説

ここからは、
動画の内容を深掘りして、

国が遠隔地を支配するときのパターンを解説していきます。


動画を見ても、見なくても、
わかるように書きますね。

基本情報:封建制・郡県制・郡国制

まずは基本情報を確認しましょう。

封建制

封建制という言葉じたいは、
いろんな地域で出てきます。

ヨーロッパや日本でも見られますが、
これらは中国の封建制に形態が似ていることから付けられた訳語です。

だから同じ名前でも、それぞれの場所によって少しずつスタイルが違います。


ただし、全体的に共通しているのは、
王と地域の有力者が、契約で主従関係を結んでいる状態です。


中国では、
殷や周の体制を封建制といいます。

周では、血縁者に土地を与えて、
その一族に代々地方を支配させました。
つまり、親戚運営です。

各地はそれぞれの諸侯が治めるけれども、
諸侯からみたら周王は本家なので、
みんな周王に従うわけです。

郡県制

秦の始皇帝が制定したものです。
始皇帝は「中央集権体制」を作りたかったのです。

地方を、各地の諸侯に任せてしまうのでなく
中央から派遣した長官に治めさせます。

そうすることで、
中央の方針を地方にダイレクトに伝えることができるわけです。

郡国制

前漢の初代、高祖劉邦が制定したものです。

先ほどの郡県制は、
領地全部に、中央の役人を派遣することで治めていました。
急激に広大な土地を支配しようとして無理が生じ、秦は滅んでしまったわけです。

だから劉邦は、
都に近いところと遠いところで
支配の仕方を変えます。

遠く:周のように、諸侯に統治を任せる
近く:直接支配できるので、郡県制のまま


つまり、
近くには秦スタイル、遠くには周スタイルを使ったわけです。
これが郡国制です。

※その後

ただしこれには続きがあります。

地方の諸侯に力を持たせたままだと、反乱を起こす可能性がありますよね。
実際、呉楚七国の乱が起こっています。

ですので乱の鎮圧後(〜武帝の頃)には、
地方にも中央から長官を派遣するかたちに変わります。

実質的な郡県制です。

以上、簡単に整理しましょう。

  • 封建制:殷や周
        地方を候に任せる
  • 郡県制:秦
        地方に直接役人を派遣
  • 郡国制:前漢
        近くは直接治め、
        遠くは候に任せる

さて。
こうやって流れを確認しても、なかなか区別はつけにくいですね。
どれがどれだか分からなくなりそうです。


令和の受験生は、暗記でなく理解で戦うべきですので、

ここからは、
理屈や法則で覚えていきましょう

①名前で区別をつける

まず、混乱しやすいのは名称です。

郡県だの郡国だの、似た名前だからですね。

郡・県・国などの文字がどこを指すのか。
これを視覚的に確認してみると、覚えやすくなります。

郡・県

秦や漢のころは、地方を2つ〜4つのレベルに区切っています。
大きいものから、郡、県、郷、里。

郡県制っていうのは、ここから来ています。


郷と里にも聞き覚えがあるでしょう。

役人の選び方に、
郷挙里選というのがありました。

前漢で採用されたものです。
各地方の有能者を、地方長官が推薦します。

この区分のうち、郷とか里とかの地方レベルで選んで、推薦したってことですね。

郡県制の郡と県、郷挙里選の郷と里は、
それぞれ、この区分をもとにした制度です



郡県制では、この区分の全てに、中央から役人を派遣します。
そうすると、隅々まで中央の方針が行き渡ります。




それに対して、国というのは、この地域とはまったく別のエリアです。

支配を侯に全面的に任せてしまった領域を、国といいます

国って聞くと、「秦」「漢」のような王朝を思い浮かべがちですが、
中国史では、もっと小さいです。
江戸時代の藩のことを「お国」って表現したりしますけど、
そんなイメージです。


国では、政治の方針も、役人の任命も、侯が決めます。
(役人の任命を誰がするかって、ほんとうに重要なんですよ。
詳しくは別のページ(教皇と皇帝)でお話ししています)


郡、県、国
それぞれ、どんな場所か、イメージができたでしょうか。

郡と県は、中央の決めた区画、
国は、諸侯に任せてしまった地方です

②制度の移り変わりを、法則化する

次に、バラバラに見える三つの制度に、
法則を見つけていきます。

具体的には、
どういう流れで制度が変わったのか、見てみるのです。


今からの話は、中国史だけでなく
世界史全体に応用できる考え方
です。


広い地方を治める政府が取る戦略には、法則性があります
それさえわかれば、どんな事例を見ても、
何が起こっているのかわかると思います。


まず、この2パターンを知ってください。

支配体制のパターン

  1. 地方は有力者に任せ、かわりに有力者を自分に協力させる方法
  2. 遠くの地方も直接治める方法

これはそれぞれに、メリット、デメリットがあります。

1. 地方を有力者に任せ、かわり有力者を自分に協力させる方法

メリット:
中央の目が届きにくい遠隔地でも、有力者が治めてくれるので安心

デメリット:
その地域は、中央のルール以外で動くので、方針が食い違う
ちゃんと有力者をコントロールしないと、力をつけた有力者が反乱を起こす

2. 遠くの地方も直接治める方法

メリット:
全ての地域に、中央の方針を浸透させられる

デメリット:
全土に及ぶ力とシステムがないと、国全体を管理しきれない

統治者はこのバランスをとりながら、政治をしていく必要があります。

そのバランスの取り方の一つとして、
「遠くは1、近くは2」みたいな折衷案(1.5とします)があります。
今回の例でいうと、これが郡国制ですね。

(まあ、ある意味では、完全な「1のパターン」はない、ともいえます。
なぜなら、王や皇帝は少なからず直轄地を持っているから。
首都とか、普通に自分たちで治めてるでしょうし。

でも、直轄地を例外とすると、「1のパターン」は珍しくないです。
江戸幕府は、まさにそんな感じですよね。)



では、どのバランスで治めるのがいいか?

これは、その時代や場所、
王朝の特徴や、成熟度などによります。
支配者は、そのときどきにもっとも適したスタイルで、国を治めようとします。


例えば、政府を作った直後は、
全土をいきなり運営するのは難しいです。
ですから、地方は有力者に任せたほうが早いですよね。(1or1.5パターン)

でも、ある程度安定してきて、
遠くまで目が届くようになってきたら、
地方勢力は削いでしまった方がいいですね。(2パターン)
反乱の危険がありますし、国家の方針が一貫しませんから。


もちろん、一筋縄ではいきません。

最初に「支配を任せるよ」って言った以上、
地方有力者たちは、権利を取り上げようとすると抵抗します。

それを、あの手この手で乗り越えて、
安定した国を築くのです。


漢の劉邦→武帝の流れは、まさにこれです。
作ったばかりの頃は1.5→安定すると2、の流れです。

武帝の先代(景帝って言います)の頃から、直接支配を狙っています。
王や侯の治める国に対しても、役人を派遣しようとしたり、
国の範囲を狭くしようとしたりするのです。

すると、王・侯は反乱を起こします。
まあそりゃそうですね。自分たちの権力が奪われてきますから。
これが呉楚七国の乱。
などつのが起こした、です。
(うわ、超わかりやすい名前)

それを鎮圧して、武帝の頃には、
国の役人も、中央から派遣するようになるのです。



同じパターンは
さまざまなところで見られます

最後の章で、色んな例をあげますが、
ここではまず最初に、中国の他の時代で探してみましょう。


清の時代に、ちょうど、全く同じ例が見つかります

清朝は征服王朝ですから、首都(北京)は北の方にありますよね。

最初の頃は、
南まで支配する余裕はないですから、
南部は、明代からの有力者に治めさせます。
これを三藩と言います。

しかし安定してくると、この三藩を廃止しようとします。

抵抗した藩王たちは、
三藩の乱を起こしますが、
鎮圧して、直接支配を実現させます。


ほんっとに、全く同じですよね。
これだけで、世界史がずいぶんシンプルに見えるでしょう。



さて、国を安定させるときの例として、
1→2を見ていきましたが、

逆に国が衰退するときは、
2→1というのも、よくあるパターンです。

これまで安定していた国の力が弱まると、遠くを管理できなくなります。
すると、遠くの地方の役人が力を持ち始めて、
自治を獲得したり、独立したり、
場合によっては、王朝そのものを倒してしまうこともあるでしょう。


この辺の具体例は、最後の章で探してみましょうね。

まとめと、これからの世界史の戦い方

このように構造からみると、
周→秦→漢(劉邦)→漢(武帝)で統治体制が移り変わる順序が、
きれいに整理できます。

  • 周の封建制:地方を有力者に任せる「1パターン」
  • 秦の郡県制:全土を郡や県で支配する「2パターン」
  • 漢の郡国制:遠くだけ諸侯の領地にしてしまう「1.5パターン」
  • →実質的な郡県制:遠くも直接支配する「2パターン」


「郡県」と「郡国」間違えやすかったと思います。
でも、今回
諸侯に政治を任せている遠くの地域を「国」というのだと分かったので、

  • 郡県制:「郡」と「県」という、中央が区切った地方区分で治める
  • 郡国制:中央は「郡(以下、県郷里)」地方は「国」の二週類で治める

と判断できるでしょう。



名前だけで区別しようと思うと、
世界史はとても大変です。

でも、ほとんどの人が
そうやって頑張っています。
だから「世界史は暗記科目」なんて言われるのです。

いや、暗記なんか最小限でいいんですよ
全体の構造を掴めば、枝葉は勝手に覚えられます。


それに最近の入試は、
全体的な理解を試すものが増えています。

平成末期のセンター試験や、共通テストは
細かいところ出さずに、むしろ
「全体の構造とか流れを理解してますか?」
みたいな問題が多いです。


特に共通テストは(1年目しかデータがないですけど、それだけでも)
構造理解の問題が増えているなあ
と感じます



私はこのブログでは、
全体に応用できることばかり書いています。

そうじゃないと意味がないと思うからです。

このブログのコンセプト
「世界をシンプルに理解する」ですからね



色々と読んでみてください。


とりあえず、次の項目では、
さっき見つけたパターンを、別の時代や地域で探してみましょう。

パターンを他の地域にも応用してみる

ここからは、今回見つけた法則を、
別の場所にも応用しましょう。


このブログ、一応世界史の解説ってことになってますけど、日本史の例も出します。

日本史も同じことですし
これからは歴史総合の時代ですからね。
(※令和4年度から、まず日本史も世界史も地理も一気に勉強して、その後どれかを選ぶ、というカリキュラムに変わります。それが歴史総合と地理総合。)



今回理解した構造は、これです。

支配体制のパターン

  1. 地方は有力者に任せ、かわりに有力者を自分に協力させる方法
  2. 遠くの地方も直接治める方法

これを、世界中で探してみましょう。

いや、まず自分で考えてみてもいいですね。
思いつく限りあげてから、この続きを読んでみてください。





さて。
大量にあげていきますが、規模の大きいものから、小さいものまで、沢山あります。

なぜなら、
中央が末端をどう処理するか、という問題は
世の中どこにでもあるから
です。

もう腐るほど見つかると思いますから、
一部だけ紹介します。

1パターン
広い地域を支配しているけれど、各地に自治を委ねているというパターン
征服地に自治を与える場合と、
そもそも小国が、何らかの形でまとまった結果である場合とがある

もちろん首都や直轄地、共通したルールなどはあるので、
「完全な1パターン」は存在しない

  • アケメネス朝(納税と軍役を遵守すれば自治OK)
  • イスラーム系王朝(納税すれば改宗しなくても良い)
  • 周の封建制(諸侯に土地を与えて治めさせる)
  • 神聖ローマ帝国(領邦のまとまりで形成、領主から君主を選ぶ)
  • 江戸幕府(藩の権力をギリギリまで削いで、幕府に従わせる)
  • アメリカ合衆国(州の権限が強く、州ごとに法律が違う)

2パターン
隅々まで中央が統制しているパターン

実際はどこでも、その地方にあった政治を容認しているので、
「完全な2パターン」も存在しない

  • 律令体制(中国、日本ともに)
  • 近代国家(基本的に領域がはっきりしており、価値観や方針が統一されている)

1.5パターン
遠隔地に自治を与えているパターン
もともとの国内と征服地とで、別の政治体制を取っている場合や
地方勢力の権限が強くなってきた場合などがある

実際はどんな国も、1と2の間でバランスを取っているから、
全部1.5とも言えるが、わかりやすいものだけ

  • 郡国制(中央は郡国制、地方は封建制)
  • ローマ帝国(直轄地と属州)
  • 欧米列強の植民地経営(本国と植民地)
  • 清(直轄地と藩部)

さて、次に、変遷していく例も考えましょう。

1or1.5→2のパターン
地方の自治から直接支配に移行するパターン

安定するまで地方勢力を認めていた場合や、
征服するまでの段階として、まず懐柔し、のちに完全支配するという場合などがある

  • 漢の郡国制→実質的な郡県制(今回の例)
  • 清の三藩→その廃止(既出)
  • 植民地形成過程(保護国化→植民地化)
  • ソヴィエト政府(周辺諸国を社会主義化→ソヴィエト政府が監視・統制)

2→1のパターン
直接支配から地方の自治を容認するパターン

地方長官の権利を拡大していく場合や、
遠隔地すぎて自立させる方が得である場合などがある

そのまま別の国として独立されることもある

  • 唐の動揺(節度使の権力拡大→五代十国時代)
  • モンゴル(ユーラシアを一つに→ウルスに分割)
  • アッバース朝(アミール(総督)の権力拡大→大アミール)
  • オスマン帝国(地方総督→エジプト総督が自治獲得→独立)
  • ムガル帝国(地方勢力の台頭)
  • イギリスの植民地運営(南アフリカやオーストリアなどを自治化/アメリカの独立)
  • 日本の律令体制(国司の権限拡大)
  • 鎌倉前期→室町(守護の権限拡大→守護大名の形成)




めちゃくちゃ見つかるでしょう。

多くの人が、言語化してないだけで、
地方と中央のパワーバランスが大事
ってことは、わかっていたはずです。

でも、それをパターン化すると、
一気に理解が楽になります。


これは重要なので、
ちゃんと言っておきますが、


正解とか間違いとかはありません


私があげた例と違った理解をしていても、
それは、私と着眼点が違うというだけです。



なぜなら、分類っていうのは、
どこに着目するかで変わってくるから
です。

大きな視点で見たら、1だけども、
細かい状況を見たら2、
みたいなことはいっぱいあります。

どっちとも言える、みたいなものもたくさんあります。



じゃあ、なぜこんな作業をしたかというと、

普遍的な構造を理解してもらうため

です。


世界にはあらゆる国があって、
あらゆる体制があって、
その一つ一つは、土地や時代の状況によって
本当にさまざまです。

でもそんなのをいちから覚え込んでいたら、
世界史全部なんか理解できません。

世界史を勉強するときは、
パターンを見つけ、具体は適度に無視すべき
です。



それは世界を抽象的に見るということです。

世界は人間の集まりなので、
ありがちな構造はいくらでも見つかります。

身近な日常と共通するところも、たくさんあるでしょう。



パターンを見つける、というのは、
全ての勉強、活動、生活に応用できます


上手い人の共通点を見つけたり、
たくさんの仕事の中から要点を見つけたり、
自分と周りの関係を、俯瞰的に見たりすることです。



だから、いろんな視点で、世界史を解説しているのです。


今回の構造の理解も、ぜひいろんなことに活用してくださいね。


世界史の説明は、そのうち、一つのページにまとめる予定です。
わからない単語があれば、ぜひ色々と読んでみてくださいね。

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