教皇と皇帝の関係とは

動画【5分で世界史】

こんにちは。Naganomayuiです。

私は高校教員でしたので、
YouTubeで、【5分で世界史】という動画を作っています。



今回は、教皇と皇帝との関係を解説します。

以前、神聖ローマ帝国の記事(こちら)を作ったとき、
教皇と皇帝の関係についても、確認した方がいいだろうな、と思ったのです。


なぜかって、関係が複雑だから。


教員時代にも、
「教皇と皇帝って、争ったり協力したりして
結局どういう関係なのかわからない」
っていう人が多かったです。


ですから「そもそもお前ら何者なの」という
確認をしていきましょう。


動画はこちら
5分程度で見られます。↓

【5分で世界史】教皇と皇帝の関係が、結局わからない人向け解説

このページでは、動画の内容を中心に、
教皇と皇帝という役職のはじまりや意味を、解説していきます。


教皇と皇帝以外にも、
世界史には、政治と宗教が関わっている事例が多いので、

できるだけ、いろんな時代に応用できるような考え方
説明しますね。

ポイント:人を従わせるのには説得力が必要



まずは、支配者の権限を理解するためのポイントをお伝えします。

  • 人を従わせるには「説得力」が必要
  • 説得力は、人に分け与えることができる

権力者は、なんの理由もなく権力者になったわけではありません。

何らかの根拠=説得力があるので、多くの人を従わせることになったのです。


どうして偉いのか?どう偉いのか?


権力を持つための「根拠」を考えながら、
以下、読んでみてください。

教皇と皇帝について混乱する原因

そもそも、
教皇と皇帝の関係がわからないのは、

「教皇」と「皇帝」という立場を
よく分かっていないから、かもしれません。


「教皇」とは?
「皇帝」とは?

こう聞かれて、答えられますか?


「教皇はキリスト教で一番えらい人」とか
「皇帝は帝国で一番えらい人」とか

そんなぼんやりしたイメージを、もう少し詳しくしていきましょう。



ここを整理してみると、案外あっさり、
関係性がわかるでしょう。


まず、混乱しやすい点を3つ、まとめます。

  1. 教皇は、キリスト教全体のリーダーなのか?
  2. 皇帝は、国王よりえらいのか?
  3. 教皇と皇帝は、仲がいいのか?

1. 教皇は、キリスト教全体のリーダーなのか?

まず、教皇について、
こんな誤解があるかもしれません。

「教皇ってキリスト教の最高権威者よね?」


これ、正確には、違いますよね?
正しくは、
ローマ=カトリック教会の最高権威者
です。


ここで、
「ああ、キリスト教って、カトリックだけじゃないもんね」って
思えたとしたら、
次は、カトリックの他にどんな派があるか、思い出してみてください。

中学までで学習するのは、
カトリックとプロテスタントです。

けれど、実はもう一つ、キリスト教には、
「正教会」という大きな宗派があるのを、
思い出せると、とてもいいですね。



以下に、よく出てくるキリスト教の派閥を、まとめます。

キリスト教の宗派(世界史で代表的なもの)

  • ローマ=カトリック教会
  • 正教会(コンスタンティノープル教会/東方教会)
  • プロテスタント
  • イギリス国教会

どうしてこの区別が大事なのかと言うと、
そもそも教皇というのが、

カトリックにしか存在しない役職であり、
・コンスタンティノープル教会(正教会)との対立の中で、生まれた存在だからです。

ここは、あとで詳しく説明します。

2. 皇帝は、国王よりえらいのか?

皇帝という言葉には、
「ものすごく広い領土や多様な民族を支配している帝国の王」

みたいなイメージがありますよね。


それは、間違いではないのですが、
実際には、時代や地域によってさまざまです。


特に、西ヨーロッパの皇帝って、
一般的にイメージされる皇帝と少し違いますよね。

神聖ローマ皇帝とか・・・
他の国とそんなに広さも変わらないし・・・

フランスとか、イギリスとかを、
支配しているわけでもないし・・・

そう、西ヨーロッパでは、
国王と皇帝との違いが、実はあんまりなかったりするのです。


それは、
本来は「皇帝」って言えるほどの支配者はいないけど、
「皇帝」という役割が必要だった

という、西ヨーロッパの特殊な事情が、隠れています。

3. 教皇と皇帝は、仲がいいのか?

教皇と皇帝といえば、
聖職叙任権闘争をしているかと思えば、
十字軍や宗教改革のときは協力したりもしています。
ていうかそもそも、カールやオットーに戴冠してるのは教皇です。


「仲いいのか悪いのかはっきりしろよ」
って、思いますね。私は思ってました。


これはどうしてかというと、
互いが互いを必要としているからです。



先ほど、
・教皇は、コンスタンティノープル教会との対立の中で生まれた
・皇帝は、それほどの力はないのに、役割として必要とされた

という話をしました。


つまり、教皇も皇帝も、
ある事情を解決するために生まれた
ものであることが、わかります。


その、ある事情というのが、
「コンスタンティノープル教会との対立」
です。


この話は、
ローマ帝国の分裂まで遡るとよいです。

順序立てて見ていきましょう。

教皇や皇帝のはじまり

話を、ローマ帝国まで遡ります。

なぜローマまで遡るかというと、
ローマ帝国で、初めてキリスト教が認められたからです。

ローマ帝国時代

キリスト教を公認したのは、
コンスタンティヌス帝。

彼の名前を冠した町が、
コンスタンティノープルです。


その後キリスト教は、ローマ帝国で国教として保護されます。
続々と教会が作られていきます。


その中でも5つの有名な教会がありました。
これを五本山と言います。

キリスト教会の五本山

  • ローマ
  • コンスタンティノープル
  • アンティオキア
  • イェルサレム
  • アレクサンドリア

(別に覚えなくていいですよ。
今回の話に関係のある、ローマとコンスタンティノープルさえ分かれば十分です。)



この五本山は、ローマ帝国の宗教拠点として、それぞれに発展していました。


けれどローマ帝国は、その後2つに分裂してしまいます。
すると、その領域にあわせて、
キリスト教の拠点も、次の2カ所が有力になってきます。


西の宗教拠点はローマ。
東の宗教拠点はコンスタンティノープル。

そして、それぞれが
皇帝に保護されて生き残っていくのです。

西ローマ帝国、すぐ滅ぶ

西と東に分かれた帝国で、
ローマ教会とコンスタンティノープル教会が、力を持ち始めました。


ただしその後すぐに、
ローマ教会は、危機に見舞われます。
西ローマ帝国が滅んでしまうのです。


ローマ教会は焦ります。
西側世界のリーダーとしてやっていこうとしていたのに、
西側世界そのものが、バラバラになってしまったのです。


教会は、あくまで信仰を広げる役割です。
バラバラな世界をまとめるための、武力を持ってはいません。


このときのバラバラ具合というのは、相当なものでした。
この当時、西ローマ帝国が滅んだのは、
ゲルマン人が移動して、混乱するなかの出来事ですよね。

ゲルマン人ってのは、本来、ローマ人とは考え方も違うし、言葉も違うのです。
そんな人々が、ローマの領域内に大量に入ってきています。

つまりこの頃って、単に帝国が分裂してしまっただけじゃなく、
異民族が大量に入ってきて、常識とか言葉のレベルでまとまりがなくなっている
状態なのです。

キリスト教の布教どころじゃないですよね。



そんな中で、ローマ教会の権威は、だんだん下がっていきます。

これは、東のコンスタンティノープル教会からしてみれば、好機です。
キリスト教世界の最大拠点となろうと、勢力を広げ始めます。
そして、混乱している西側にも手を伸ばそうとしてくるのです。


どうしましょう。
ローマ教会は、2つの策を考えます。

  1. 「教皇」という権威者を作る
  2. 「西ローマ帝国の後継者」を作る


それぞれ、理由を見てみましょう。


1. 「教皇」という権威者を作る

人を集めて従わせるには、理由が必要です。
例えば、
イェルサレムが五本山になったのは、
イエスが活動した場所だからですよね。

ローマはこれまで帝国の中心地だったので、
何もせずとも人が集まってきていましたが、

ここからは、ローマを特別な場所と思ってもらう理由が必要になるのです。



ここで着目したのは、
イエスの弟子の一人である、ペテロです。

ペテロは、「最後の晩餐」にも描かれている、イエスの12人の弟子の一人です。
イエスが死んだ後、各地で布教活動をしたのですが、

彼は、ローマで死んでいるんですね。
宗教に身を捧げるなかで死んだので、
「殉教」と言います。

これは良いエピソードですよね。



ですから、ローマ教会は、
「うちはペテロが殉教した神聖な土地です」
という売り文句で、人を集めようとします。

そして、
「私たちはペテロの遺志を引き継ぎます」
というスタンスを取ったのです。


さらに「教皇」という役職を作ります。

教皇は、聖職者の最高位です。
でも、ただのリーダーではありません。

ちゃんと「ペテロの後継者」ということになっています。


つまり、ローマ教会は
教皇というペテロの後継者がまとめているローマ教会
という、権威づけをおこなったわけです。


2. 「西ローマ帝国の後継者」を作る

西ローマ世界がバラバラになっているなか、

ローマ教会としては、
一刻も早く、西側をまとめてくれて、
しかもキリスト教を保護してくれるような、
強大な支配者を見つける必要がありました


それも、東ローマ帝国に匹敵するくらいの、強大な支配者です。
「皇帝」じゃないといけません。


では、どうしたらいいか。
ただ、再び統一するのを待っているしかないのか。

ローマ教会は、自ら動きます。
ある程度強い支配者に、自分から「皇帝」の位を授ければ良いのです。



有名なものは、カールの戴冠です。
フランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)を、皇帝に任命したのです。
丁度800年ですね。覚えやすくて最高です。
(年号暗記って大変ので、こういう楽なのだけ覚えて、その前後関係から類推するのが良いですよ)

このとき教皇は、カール大帝を「西ローマ帝国の後継者」とします。

これで晴れて「西ローマ帝国」は復活し、
(※中身はともかく、形だけは)

ローマ教会は
「西ローマ帝国に保護されている教会」としての権威を取り戻したわけです。




しかし、フランク王国も長くは続きません。
すぐ分裂してしまいますよね。

ローマ教会は焦ります。また代わりを探さなくてはなりません。



次に目をつけたのは、
東フランク王国のオットー1世です。

ただし彼は、
西ローマ帝国の後継者というには弱いです。


フランク王国は、3つに分裂しています。
今のフランス、ドイツ、イタリアのあたりですね。

東フランク王国は、今のドイツ周辺です。
中部フランクや西フランクと、規模は同じくらいですよね。

それで「皇帝」は、ちょっと大袈裟な冠です


でも、それでもいいんです
教会というのは、政治的な権力者と協力しないと、力を発揮できないのです。

だから、
実際はドイツ周辺しかおさめていなくても、
「西ローマ帝国の後継者」として、位を授けちゃいます。


これが「神聖ローマ帝国」の誕生です。

まとめ:教皇も皇帝も、ローマ教会が生き残るために作った

ここまでをまとめます。

教皇のはじまり:
ローマ教会の権威づけのために作った
皇帝のはじまり:
ローマ教会が「西ローマ帝国」を復活させる(形だけでも可)ために作った

両方とも
コンスタンティノープル教会に対抗する為、作られた役割でした。



では、教皇と皇帝は、どこに影響を持っているのか

まず教皇は、
西ヨーロッパ世界全体に、影響力を持っています。

教会は、西ヨーロッパ中にありますが、
その教会の聖職者をまとめる最高位が「教皇」ですから、
どんな国の聖職者であっても、教皇の方針に従っています。

本人はイタリアにいても、です。



次に皇帝ですが、
かつて西ローマ帝国だった土地全部を治めているわけではありません。
例えば神聖ローマ帝国の場合、ドイツ地方だけを治めています。

隣のフランスや、イギリスなどの国王を、
家来にしているわけではありません。

でも、ローマ教皇によって、
形だけでも「西ローマ皇帝」のポジションを与えられているので、

宗教に関する問題でリーダーになったり、
宗教に関する特別な権限があって、他国の政治に少しだけ口を出したり、
教会の上層部とつながりがあったり、

さまざまな特権や責任を、持っていることがあるのです。




ただし、そんな二者の影響力や権限は、
とても微妙なバランスで、ようやく成り立つものです。

教皇は、イタリアにいるにもかかわらず、
よその領地に影響力を持つので、

国王からしたら目障りな時があります。
「うちはキリスト教禁止」とか、
「うちは教皇のいうこと聞くのやめます」
とか言われたら大変ですよね。

教皇を保護してくれる「皇帝」が、
形だけでも西ヨーロッパの政治的なまとまりを作ってくれているおかげで
その影響力を発揮できるわけです。



一方、皇帝は、
教皇から「西ヨーロッパのリーダーです」と認めてもらったおかげで、
他の国の国王よりも、少し大きな権限を持つことができています。


つまり教皇と皇帝というのは、
お互いに、相手がいないと困る
わけです。


だから、宗教改革のような、カトリック教会全体の権威が揺らぐ事件が起こると、
一致団結して戦うことになるのです。

教皇が、国王や皇帝と対立する理由:例「聖職叙任権」

さて、

教皇と皇帝は、互いが互いを必要とする、繊細な関係でしたが、
勿論、権利をめぐって争うことも多いです。


ここからは、教皇が、皇帝や国王と対立するのはどんな時か、見てみましょう。


教皇は、
西ヨーロッパ世界の宗教的リーダーです。
皇帝や国王は、
各地の政治的なリーダーですね。


つまり、影響を及ぼす範囲が、重なっているわけです。


たとえばフランスで、
宗教関係の問題が起こったとします。

教皇は「宗教の問題はわたしが担当ですね」って思うし
国王は「いやこれ国内の問題だから私が担当します」って思うでしょう。

そういう曖昧な部分が、争いを生むのです。



それぞれ、宗教担当と政治担当なので、
「宗教は宗教、政治は政治で棲み分ければいいじゃん」って思ったりもしますが、

政治と宗教って、密接な関係にあるので、
お互いに譲らないのです。


特に、大きな問題になるのが

聖職叙任権
をめぐる争い
です。

つまり、各地の聖職者を誰が任命するの?っていう問題ですね。


役職を任命する権利というのは、とても重要なんです。

例えば、大きな権限のある役職に、自分の部下を任命すると、
その下の組織すべてに対して、自分の方針を浸透させることができますよね。

だから聖職叙任権も、超重要です。

そもそも宗教っていうのは、
人々の生活の常識の部分なんです。

「これが正しい!」「こうしなさい!」って人々に言える役職って、
国をコントロールするうえでとっても重要じゃないですか。

そんな聖職者の上層部は、国王が直々に任命したいですよね。
でも教皇も、教会の方針統一をしたいので、
「私が任命するべきじゃない?」と、権限を求めます。



それに、権力の問題もあります。

聖職者というと、信仰ひとすじのイメージがありますが、
実は、位が高い聖職者は、ものすごい権限を持ちます。

例えば、ほぼ領主みたいなレベルで、広い領地を治めていたり、
広大な畑を開墾して、商売をしていたり。

どうしてそんなことができるかというと、
人々から十分の一税を徴収したり、土地を寄進されたりしているからです。


金や土地があるということは、
権力もあるわけで、

彼らは、聖職者といえども、
その国の政治に深く関わっている
のです。



そんな重大な役職を任命する権利は、
教皇も皇帝も、欲しいわけです。

だから、聖職叙任権をめぐって争うのです。



影響力を持っているのが、
宗教と政治という別々のものであっても

実際に組織を運営していくにあたっては、
絶対に重なる部分が生まれてくるのです。


宗教的に大きな影響力を持つ人は、
政治的な力も、持つようになります。
(逆もあり得ます)


境界線を引くことができないので、
争いが起こる
のです。

教皇と皇帝の関係まとめ

ここまで、

・教皇と皇帝のはじまり
・教皇と皇帝が争う理由

この2点を見てきました。


教皇と皇帝のはじまり

教皇は、西のローマ教会が、
東のコンスタンティノープル教会と対立するために作った役職です。

皇帝も、ローマ教会が東と対抗するために、
「西ローマ皇帝」の代わりとして、作ったポジションです。
実際に、西ヨーロッパ世界全体を治めているかどうかは、あまり関係なかったわけです。

だから、神聖ローマ皇帝なんかは、
フランスやイギリスなどの国王と、やってることはそんなに変わらなかったりします。


教皇と皇帝が争う理由

教皇は宗教の担当で、
皇帝や国王は、政治の担当です。

でも宗教は、国を治めるのに重要な「常識」を作るのに重要ですし、
宗教の権限を持つ人は、政治にも深く関わってきます。

政治と宗教の境目が曖昧なところをめぐり、対立もします

政治と宗教のバランスは、世界史のあちこちで見られる

今回の例では、
ローマ教会が、人を従わせるために、
色々な工夫をしているのを、見てきました。


これは「権威付け」です。
つまり、自分たちが力を持つための、根拠を作ったのです。


ここで最初のポイントを思い出しましょう。

  • 人を従わせるには「説得力」が必要
  • 説得力は、人に分け与えることができる

歴史に登場する支配者や指導者は、
多くの人を従わせるに足る「説得力」つまり「根拠」を持っています。


それは、武力かもしれないし、経済力かもしれません。
血筋かもしれないし、実績かもしれません。
それらは全て「説得力」という言葉で表すことができるでしょう。



人を従わせる力が強くなると、
政治をおこなったり、大きな組織をまとめたりするようになります。


そして、
その「力」を分け与えることで
他者を指導者にすることができます



例えば、信頼のある人が推薦する人物は、
同じように信頼を集めやすいですよね。

力のある人に認められると、
自分の力を正当化することもできます。

「位を授ける」というのも、
自分の力を他者に分け与えている、と言えるのです。



歴史には、そんな関係性が沢山あります。

例えば、王朝の交代時期などは、
「力の移行」がよく起こっています。


「最後の王から位を譲られる」とか、
「王を倒して王になる」とか、
「将軍に任ぜられる」とか
「代理人や後継者を名乗る」とか
そういうのは、全部、

力のある人から説得力を分け与えてもらうことで、指導者になる方法、なのです。


例えば、今回のローマ教会は、
ペテロという権威ある人の力を借りて、
皆をまとめる「説得力」を手に入れました。

あるいは、今回の神聖ローマ皇帝は、
「西ローマ帝国の後継者」に任命されて
西ヨーロッパをまとめる「説得力」を手に入れました。

そして教皇は、
西ヨーロッパを代表する皇帝を作ることで、
逆に、自分たちが西ヨーロッパ全土に影響する「説得力」を手に入れたのです。



ここがポイントで、
説得力を分け与えて、指導者を作ることで、
逆に、自分の説得力を維持することができる
のです。



宗教指導者と政治指導者の関係は、
さまざまな事情があれど、基本的には同じものです。

例えばイスラーム教のカリフは、
「ムハンマドの後継者」です。

カリフは、巨大な領域を支配しましたが、
そのうち帝国としての力が弱くなります。

ここで、ブワイフ朝の指導者に
大アミールの位を授けることで、
自分の「説得力」を分け与えます。

ブワイフ朝はカリフを倒すことはしません。
カリフを倒すと、自分の説得力がなくなってしまうからです。

だから、アッバース朝は、
ほとんど力を失っていたにもかかわらず、
その後も長い間、存続できていたのです。



天皇と将軍の関係も同じです。

天皇には国の頂点としての「説得力」がありますから、
天皇から「太政大臣」だの「征夷大将軍」だのに任ぜられることで、
武士は支配の「説得力」を手にします。

天皇のほうも、
有力者を役職に任命して政治的な実権を与えることで
自分をさらに上位に置いたまま存続することができるわけです。



つまり、
説得力を上手に分け与えられると
与えるほうも与えられるほうも、
互いに補強し合うようにして、強大な説得力を手に入れることができるのです。


だから、教皇と皇帝は、
互いが互いを必要とするような、
互恵関係になりうるのです。




今回は、人を従わせる力について、
考えてみました。


政治と宗教の関係については、
また別の機会に書きますね。


世界史の説明は、そのうち、一つのページにまとめる予定です。
わからない単語があれば、ぜひ色々と読んでみてくださいね。

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