東南アジアは、現在と全体像を理解してから勉強するべき

動画【5分で世界史】

こんにちは。
Naganomayuiです。


私は高校教員でしたので、
YouTubeで、【5分で世界史】という動画を作っています。


今回は、東南アジアについてです。

これ、受験生の方にインスタでリクエスト頂いて作りました。
ありがたいです。

(他にも作って欲しい内容があれば、
コメントなどから教えてくださいね。)



確かに受験生って東南アジア苦手ですよね。
バラバラだからでしょうね。


5分でお伝えできることは限られているので
今回は、具体でなく「考え方」をお伝えしています。


動画はこちら。
5分程度で見られます。↓

【5分で世界史」東南アジアが、結局よくわからない人向け解説

このページでは、
動画の内容を補填するように、
具体例も交えて、お伝えしようと思います。

動画を見ても見なくても、
わかるように書きますね。

地域史を勉強するときのポイント

地域史を勉強するのは、なかなか大変です。
全体像が見えづらいからですね。


特に中国の周辺部は、
中国との関係で語られたり、
他の地域との関連で語られたりと、
なかなかひとつなぎに見ることができないですよね。



各地域の勉強にあたって
もっとも大切なポイントは2つです。

  • その土地の状況を知ること
  • 人の移動を考えること


この観点をざっとお伝えしたのが動画です。
以降は具体例も交えるので、
このポイントを思い出しながら、
読んでください。

東南アジアがわからない理由

東南アジアがわからない理由なんて、いっぱいあると思うんですよ。

例えば

  • 細切れに勉強するので、たての繋がりが分かりづらい
  • 大量の王朝が乱立するので、横の繋がりも分かりづらい
  • 宗教もばらばらで、結局どんな地域か分かりづらい
  • 情報が少ないので、流れがよくわからない

などなど・・・。
いや、なかなか勉強しづらい地域だと思います。

ただ
実際のところ

受験生が東南アジアを難しいと思う理由は
これだと思うんですよね。



そもそも東南アジアをよく知らない



そうじゃないですか?
例えば、

インドネシアって聞いたことあります?
シンガポールってどこにあるかわかります?


そういう状態で、歴史を勉強しなきゃ!とか
無理じゃないですか?


だって、
知らない奴の過去とか興味持てないでしょ。

隣のクラスの、話したこともない、名前も知らない奴が
中学時代に何してたかなんて、
ぜったい興味ないでしょ。

少し話してみて、
「あ、こいつこういうやつなんだ」
ってわかって初めて、過去を知りたくなる。
そういう順序ですよね?



歴史だっておんなじです。

まずは、今の東南アジアを知りましょう。

現在の東南アジア諸国

東南アジア国名:元地図は白地図専門店より。以下同じ

はい、こちらが、現在の東南アジアです。
知ってる国、どれくらいありますか?

地図テスト作ってみたので、
ぜひ覚えるのに役立ててくださいね。
webテスト「東南アジアの国名」「東南アジアの地理


ここからは、
ほんの少しずつですが、
国を取り上げて説明します。



もう十分覚えた、という人は、
読み飛ばしてもかまいません。

逆に全然わからない人も、
初回から「全部覚えなきゃ!」と
意気込まなくても大丈夫です。

まずは、気の合う友達を探すみたいに
「へぇー」と思いながら見てみてください。



東南アジアの複雑なところは、
いろんな島にまたがって国となっているところですね。

東南アジアは、大きく分けて
北の「インドシナ半島」と
南の「島嶼部(とうしょぶ)」に分かれます。


インドシナ半島は、
中国やインドとの関係が盛んです。

○ベトナム・ラオス・カンボジア
違う国ですが、図では全部青色に塗っています。関係が深いからです。
ベトナムは世界史では、
北部と南部に分かれて歴史が展開しますね。

○タイ
東南アジアでも特に有名な国ですね。
この地方は「シャム」と呼ばれることもあります。

○ミャンマー
昔はビルマと呼ばれていたので、
世界史では「ビルマ」で登場することも多いです。



逆に島嶼部は、
イスラームとの関係が盛んです。

○マレーシア
インドシナ半島と島嶼部の中間にあります。
二つの島にまたがっていますね。
インドシナ半島の先、
マレーシアとシンガポールがあるところは、
「マレー半島」と呼ばれます。

○シンガポール
小さな都市国家です。
某小さくなった名探偵の映画でマーライオンが血を吐いたところですね。
マレー半島の先端にあります。

○ブルネイ
イスラーム教国です。正式名称ブルネイ=ダルサラーム。
ダルサラームはアラビア語で「平安の家」っていう意味です。

○インドネシア
南の島々のほとんどを占めています。
ネシアの語源は「島々」です。
インドって名前がつくのは、ヨーロッパから見てアジアはほぼインドだからです(雑)。

○東ティモール
インドネシアかと思いきや、ティモール島の東半分だけ、別の国です。

○パプアニューギニア
インドネシアかと思いきや、ニューギニア島の東半分だけ、別の国です。
ちなみにパプアニューギニアは、東南アジアというより、オセアニアに分類されます。


一通り見てみましたが、
いかがでしょうか?




東南アジア、
なかなかにハードなのは、
国境が半端だからですよね。


なんで、こんな半端な国境なのか?


疑問を持ちますよね。
そうしたら
やっと、理由を知りたくなって、過去を聞く気になります。
人間と同じですよね。

「お前、昔どんなことがあったら、こんな国境になるの?」

仲良くなった東南アジアは、色々と教えてくれるでしょう。
『あー。色々あってさ、、、』

※webテストは、匿名で何度も受けられますので、ぜひやってみてくださいね。

webテスト「東南アジアの国名」「東南アジアの地理

東南アジアの宗教

入り乱れ具合で言うと、
宗教も負けていません。

東南アジアでは、さまざまな宗教が
信じられています。

東南アジア宗教

これは、あくまで傾向なのですが、

南の方は、イスラーム教が多く、
北の方は、仏教や儒教が多いです。

一部、キリスト教の多い所もありますね。
このキリスト教は、主にカトリックです。


ただし、傾向があるというだけで、
実際には、ひとつの国内にさまざまな宗教が分布しています。

特に島嶼部の方は、
イスラーム、仏教(上座部&大乗)、ヒンドゥー教と
色々な宗教がごちゃ混ぜです。
人々も、インド系や中国系が多いです。



こうもめちゃくちゃに入り乱れてると、
やっぱり、気になりますね。

「何があったん?」って、過去を聞く気になります。

東南アジア『色々ね、、、』

東南アジアの多様性を攻略する方法

東南アジアの歴史や文化は、
まさにてんこ盛りビュッフェ皿です。


迷って
「う〜ん、全部!」
って皿に乗せたみたいな
様相を見せています。


それは、
それまでに、ほんとうにさまざまな人々が、
東南アジアを訪れたから
、なのです。



そりゃあそうだ、って思いますよね。
でも、
ここが、東南アジア攻略のポイントです


東南アジアは、バラバラに見えますが、
人の移動によって形成されてきた、という
特徴があります。


ということは、
東南アジアを理解するには、
人の動きを分析してみればいいんです



どんな風に人が移動してくるか、
どんな風に文化が伝わるか、

それさえ分かれば、東南アジアは
一気に見やすくなります。

人の動きから東南アジアを見てみよう


東南アジア攻略法は、
人の動きを分析することでした。

といっても、
まだピンと来ないと思いますので、
人の動きを書き込んだ図を用意しました。

東南アジアの分布図

それぞれ、
・インドから
・中国から
・イスラームや西洋から
・西洋(西回り)やアメリカ大陸から
この4つに分類できます。

この動きに沿って、文化は伝わります。
そう思うと、
宗教や言語や人口分布が、
確かに納得のいくものとなるでしょう。


これを踏まえた上で、
東南アジアを学習していきましょう。



もうひとつ、普遍的な法則ですが、

人の移動は、時代が下るにつれて、
広く大規模になる傾向があります

ですから、
時代を追って歴史を見ていくことで、
東南アジア世界の文化が広がる様子がわかります。

中国とインドからの影響

最初のポイントとなるのが、
中国とインドです。

東南アジアは、地理的に、
中国とインドの影響を受けやすい
です。

特に、インドシナ半島。
「インド」と「シナ(China)」の
間にあることから、

インドと中国の文化を
たくさん取り入れてきました。



たとえば宗教

ベトナムは
儒教や大乗仏教の影響が強いです。

ビルマ(ミャンマー)やタイ、カンボジアでは
まずはヒンドゥー教、のちに上座部仏教の影響が強くなります。

カンボジアのアンコールワットは、
はじめヒンドゥー教寺院として建てられ、その後仏教寺院となったのでした。

インドで生まれた仏教は、2派に分かれて広がりましたよね。

インドシナ半島には「上座部仏教」
チベットから中国の方へ「上座部仏教」

ということは、

ベトナムは、
一度中国に広がった「大乗仏教」が
中国経由で伝わってきているのです。



都市の発展も、
交易という観点から見ると、
納得がいくはずです。


初期(1c頃〜)にカンボジアで栄えた国は
「扶南」という港市国家ですね。
(港市国家というのは、港の周辺につくられた小規模の国です)

扶南の中心となったのは
オケオという港です。

これは、中国とインドがやりとりするために
発展した港なのです。

同じく、南ベトナムのチャンパー(林邑)(2c末〜)も、
中国との海上貿易で栄えています。



つまり、
東南アジアは、
中国とインドの交易の中継点として発展し、
記録に残っている
のです。


交易というのは、
まさに人の移動です。

人が集まるにはそれだけの理由があり、
その理由を時代と一緒に考えてみるのが、
歴史なんですよね。


さらに政治も、周辺国に左右されます。

例えば、ベトナム北部は、
中国王朝の隆盛が、ベトナムの情勢に影響を及ぼします。

秦の始皇帝が、統一王朝を作ってから、
中国はベトナム北部にも、支配をひろめていきます。

そこからは中国王朝の支配下にあり、
唐が滅んでから、
やっと、ベトナム北部に新しい王朝が生まれるのです。

秦漢隋唐(途中いくつか挟むがそれは無視して)という
強大な国々の体制が倒れるまでは、
独立なんか難しかったわけです。



言葉や文字もです。
ミャンマーの言葉は、サンスクリット語に由来するものが多いです。
ベトナムの文字チュノム(字喃)は、ほぼ漢字みたいな文字ですね。



このように
インドや中国の文化は、
特にインドシナ半島に大きな影響を与えています。


それは、人の移動によるものです。
初期は近い範囲での移動が盛んでしたから、
インドシナ半島中心に文化が栄えています。

人の移動に伴って、文化が伝達される、というわけです。

西方からの影響

時代が下ると、アジアでは
もっと遠くの国々との交易
盛んになります。

インドより遠くには、ペルシャやローマが控えていましたし、
7世紀からは、イスラーム勢力が力を持ち始めます。

イスラーム教は商業を推進していますから、
交易はますます盛んになるでしょう。


中国と交易したいと思っている西の人々は
海をいくなら、どこを通っていくでしょう

マラッカ海峡

この隙間でしょうね。

ここ「マラッカ海峡」が、重要になります。


この海峡は、これまではあまり使われていませんでした。
浅い海なので船が座礁しやすいし、海賊も多かったのです。

ですから、中国とインドの貿易においては、
マレー半島を陸路で突っ切るルートが使われていたのです。
だからこその、オケオ(カンボジア)の発展なのです。


しかし、
この海域をとりしきる強い国が現れてから、
マラッカ海峡は、盛んに利用されるようになります



それが、
7世紀のシュリーヴィジャヤ王国です。
義浄も、インドの帰りに寄っていますよね。

この辺りは、上座部仏教よりも大乗仏教の割合が大きいのですが、
中国との交易ルートだった関係が、大きいかもしれません。



モンゴルと東西交易

西方との交易は、
モンゴルがユーラシア大陸をひとつにする13世紀に、
さらに加速します。

すると、
この辺りも大いに発展していきます。


モンゴルが13世紀というのは、覚えてしまってください。
ユーラシア大陸の歴史全体に影響する事件なので、
どの地方を勉強しても、出てきます。

地学でいう「示準化石」みたいなもんで、
横の年代を整理する基準になります。



モンゴル勢力は、東南アジアにも遠征しています。
元軍が、ビルマのパガン朝を滅ぼし、
ベトナムにも迫ります。

モンゴルが中華とチベットを支配下に置いたことを思い出せば、
さらに南のビルマやベトナムを狙うのは、
容易に想像できるでしょう。

歴史的な大事件は、
横のつながりをみつけるのに便利です


東南アジアも、
そうやって他の歴史と繋げていけばいいわけです。



宗教の伝達

東西交易が盛んになると、
特に、ムスリムの移動が増えていきます。

そうすると、イスラーム教も、
やはりマラッカ海峡を中身に、
島嶼部でひろがりはじめます。

そう、先に見た通り、
島嶼部はイスラーム教徒の割合が多いです。


宗教の伝達も、
人間の移動に伴って発生します



イスラーム教は、アラビア半島から
東へ東へと伝わってきたわけですから、

インドのイスラーム化と比較しましょう。

インドにイスラーム王朝が生まれるのは、
13世紀ごろです。(デリー=スルタン朝)

ということは、東南アジアにイスラーム教が定着するのは
もっと後になるだろう、と予想できます。

マラッカ王国がイスラーム化したのは、
たしかに、15世紀ですね。


宗教や文化は
人から人に伝わって、定着するので、
遠いところに伝わるのは、遅くなります


「当然だろ」と思うかもしれませんが、
それを歴史の理解に応用できていますか?

どんな普遍的な法則も、
歴史と照らし合わせ、役立たせてこそ、意味があるのです。



交易ルート上の都市は繁栄する

マラッカ海峡の活躍は、まだまだ続きます。
鄭和の大遠征でも、ここを通りますし、
同じ頃、大航海時代を迎えた西洋人も、ここを通ります。


この狭い海峡を通るのが、
東西交易の最短ルートならば、
海峡近くの港は、当然ながら大繁栄するでしょう。


人も集まりますね。


現在、マレーシアは、中華系とインド系の人口が多いです。
多くの人が集まったからですね。

マレー半島の先端にある都市国家シンガポールは、
特に交易の拠点として活躍した場所です。

そんな繁栄の歴史が、
都市国家として独立できる土壌になったのです。


このように、
東南アジアの島嶼部は、
マラッカ海峡を中心に、西方からの文化が流入したり、
中国やインドから多くの人が移住したりしています。

非常に多様性のある、交易拠点となったわけです。

植民地化の影響

さて、大航海時代以降、
東南アジアは、
西洋諸国に次々と植民地化されていきます


これがまた、東南アジアの歴史や文化に、
大きな影響を及ぼしています。


どの国がどこの植民地か、
覚えるのが大変だと思う方も、
多いでしょうね。


こういう時、歴史や文化と関連させたり、
「どこから」「どんな順番で」やってきたのか、を考えてみたりするのも、
理解の手助けになります。


大航海時代は、
各国が世界へ進出する順番を理解すると、
政治史や外交史などのさまざまな場所で応用がききます。

順番に

  • スペインとポルトガル
  • オランダ
  • イギリスとフランス(イギリス優位)
  • 遅れてドイツやアメリカが参入

大航海時代と宗教改革、国の独立は
互いに関係しながら歴史を織りなすので、
また別の機会にお話ししますね。



今回は、
この順番通りに、
東南アジアの多様性の理由を探りましょう。

東南アジアの宗主国


植民地化の順番と国境

国境は、植民地の境界線と関係があるので、
どうしてその国境なのかを知りたければ、

どうして植民地の境界がそんな風になったか
知ればいいわけです。



真っ先にやってきたのは
スペインとポルトガル

スペインは、マゼランの一行が
西回りでフィリピンに到達したのを思い出しましょう。
フィリピンは、太平洋方面からやってくるときに、一番ちょうど良い場所ですよね。


その後、オランダが優勢になって、
東南アジアの島々を、(スペインやポルトガルから)奪いつつ、
全体的に支配下においていきます。
オランダは、海洋貿易で大きく繁栄します。

イギリスも頑張って入り込もうとしますが、
アンボイナ事件でオランダに負け、
香辛料の豊富なモルッカ諸島を諦めます。


イギリスは、インドに拠点がいっぱいありますから、
インドに近いほうから支配していきます。

フランスは、イギリスとライバル関係です。
インドでもイギリスに負け、
アメリカ大陸でもイギリスに負けています。

東南アジアでは、
イギリスと反対のベトナム側を
安全に取りにいっていますね。
ベトナム・ラオス・カンボジアは
「フランス領インドシナ」略して「仏印」と呼ばれます。

この時、互いに武力衝突しないように、
中間にあるタイは、緩衝地帯として残されました。

よって、タイだけは、どこの植民地にもならずに済んだのです。


ドイツが統一して、植民地獲得に乗り出した頃には、
東南アジアはほぼ分割されていましたから、
ニューギニア島よりも向こう側しか
ドイツ領にできていません。

アメリカも同じく、
アジア進出が遅かったので、
スペインとの戦争で手に入れた
フィリピンのみです。

アメリカもやっぱり、
太平洋から一番アクセスしやすい
フィリピンを手に入れていますよね。



このようにみると、
どうしてこんな分布になっているのかが、
見えてくると思います。


これが、現在の国境のもとになっています


植民地は、ヨーロッパの都合で切り取られた境界線なので、
この境界線の通りに一つの民族が存在しているわけではありません。

でも、
支配されている人々が団結した結果として、
一つの国となった
わけです。



宗教分布

そして、植民地の宗主国は、
現在の宗教分布にも関連しています。


スペインとポルトガルは、カトリック教国でした。
当時のヨーロッパは、宗教改革の真っ最中です。

宗教改革で信者が減ったカトリックは、
外に信者を増やそうと必死
です。

ですから教会は、スペインとポルトガルの人々に、
「征服した土地に教会を設置してくれたら、その土地は管理してもいいよ」
という許可を与えます。

だから、スペインとポルトガルは、
征服地を次々とカトリック化します。


そういうわけで
スペインとポルトガルの手元にのこった、
フィリピンと東ティモールは、カトリック教徒が多いのです。



それ以外の国は、
宗教を通して支配する、というよりも、
商業で支配するほうを、重要視したので、

これまでの、仏教やイスラーム教、儒教が
結構残っています。



言語

植民地支配された場所では、
基本的に、宗主国の言葉が使用されます。

言葉には文化や常識が含まれているので、
支配しようとするときは、言葉を教えてしまった方が早い
からです。

よって、
東南アジアでも
宗主国の言葉が話されるようになります。

例えばマレーシアやシンガポールでは
英語が、公用語もしくは準公用語レベルで使われています。

ベトナムでは、フランス語(現在は少数)が
フィリピンでは、(アメリカ)英語が
定着しました。



大学のカリキュラムには、英語の他に「第2外国語」というのがあります。
英語以外の言語を選び、勉強するのです。

どの言語が勉強できるかどうかは、
大学にもよりますが、

基本的には、
以下の言語が多いです。

  • フランス語
  • ドイツ語
  • スペイン語
  • ロシア語
  • イタリア語
  • 中国語
  • 韓国語

中国語や韓国語は、
同じアジア諸国だからですが、

そのほかの言語にも、共通点があります。
それは、多くの国々を支配/植民地化していた国々の言葉だということです。

ということは、
この言語を学ぶことで、
本国だけでなく、
かつて支配していた地域の歴史や文化も勉強しやすくなるし、
場合によっては、いろんな地域で通じる可能性すらあるのです。

(もちろん、講座を設置している理由は、さまざまだと思いますけどね)



植民地化もまた、人の移動です

東南アジアは、
「植民地化」という名の人々の移動に、
大きな影響を受けているわけです。



その後、太平洋戦争期には、
東南アジアは一気に日本領となります。

そして、敗戦とともに全てを手放したため、
多くの国々が、一気に独立の方向に進んでいくことになるのです。

東南アジアまとめ:「今を知るための手がかり」として情報を集める

以上、東南アジアを、
「人の移動」から見てきました。


東南アジアにもかかわらず、
歴史を勉強するときは、
この2点に着目すると良かったのでした。

  • その土地の状況を知ること
  • 人の移動を考えること

今回のような、
あまり知らない地域の勉強をするときほど、
この意識を持つといいです。

この説明も、
細かい王朝の名前や、歴史の順番を示すのではなく、
今の東南アジアを知るための手がかり
というつもりで、お伝えしています。



なぜかというと、
人は、知りたいものの全体像が見えないと
手に入れた情報を、どう処理したらいいかわからないからです。

ジグソーパズルを思い出してください。

完成図を全く知らないのに、
1000ピースのジグソーパズルを
とりあえず組み立て始めてみる、というのは
とても無謀ではないですか?

まずは、なんとなくでも、
こういう風なものができるのだな、と
わかっておいた方が、先の見通しが立ちますよね。


東南アジアを勉強する受験生は、
「東南アジアがどういうところか」という全体像を知る前から、
ジグソーパズルのピースを手にして、
途方に暮れているのです。


ですから、
東南アジアの全体像をご紹介しました。

・人の移動が多い
・その移動に伴って、文化が発展してきた
・移動の規模は、時代が下ると広くなる
・移動ルート上の都市が発展する

この法則に則って、
東南アジアの勢力や王朝は推理できます。


「いろんな地域と関連してて混乱しやすい」
と思ってるかもしれませんけど

逆です。
知識と知識をつなげるチャンスなんですね。


東南アジアの王朝や文化を知るたびに、
人の移動について考えて、
何が原因なのか、推理した上で、
ジグソーパズルを組み立ててみてください。




世界史の説明は、そのうち、一つのページにまとめる予定です。
わからない単語があれば、ぜひ色々と読んでみてくださいね。

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